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1910年代-1920年代
エジソンがシネマトグラフをアメリカで使用する特許を取ったために、アメリカでの映画制作は難しいものとなっていた。
困った映画人たちは西海岸のロサンゼルス・ハリウッドへ逃げた。
そこは降雨も少なく様々な風景があったため映画制作にも適していた。
ハリウッドの映画産業を作り上げたのは主にユダヤ人の移民だった。
ユダヤ人は他の仕事には迫害を受けており、映画という新しい娯楽ビジネスに注目したのである。
1912年にはユニヴァーサル映画とパラマウント映画、1915年には20世紀フォックスの元となるフォックス・フィルム、1919年にユナイテッド・アーティスツ、1923年にワーナー・ブラザーズ、1924年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーとコロムビア映画などの現在のメジャースタジオが次々と設立された。
これらの会社を設立したのは皆ユダヤ人である。また、映画監督、俳優、スタッフ、等にもユダヤ人が多い。
また、アイルランド系も多い。この時期には「アメリカ映画の父」とも呼ばれるD・W・グリフィス監督の『國民の創生』(1915年)が公開された。
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の後、多くの映画制作者がヨーロッパから渡米してきた。
最も有名な人物はイギリス出身のアルフレッド・ヒッチコックである。
1927年、アメリカで初めてのトーキー映画『ジャズ・シンガー』が公開。1929年には第1回アカデミー賞が開催された。
見世物として始まった映画が、本格的に文化として認められ始めたといえる。
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